いわて連携復興センターでは、4月16日に発生した九州地方を中心とする震災を受け、
日々支援活動に当たられている特に現地の支援団体の皆さまに向けて、
東日本大震災において復興支援活動に関わった岩手県内の団体より、
実際に支援活動を行った上での教訓やノウハウ等を寄稿いただき、今後本サイト上から発信してまいります。
なるべく現地の支援フェーズの移り変わりに合わせた内容を掲載してまいりますが、
いち早く配信し活用していただきたいと考え、
記事作成ができた順に掲載していきますので、何卒ご容赦ください。
【九州地震における現地で支援活動を行うNPO等の皆さんへ】はこちら
http://www.ifc.jp/news/kyuusyuu/entry-1821.html
≪一般社団法人SAVE IWATE寄稿【物資支援】≫の記事はこちら
http://www.ifc.jp/news/kyuusyuu/entry-1823.html
私どもSAVE IWATEが東日本大震災の被災者支援における経験をお伝えする機会を再びいただきました。熊本地震においても、私どもの知見が少しでもお役立ていただければ幸いです。
今回は発災から数か月後、避難所で共同生活を送ってきた被災者が仮設住宅に入居し、世帯ごとの生活を取り戻す過程で必要とされた支援についてお話します。
併せて、周囲の住宅が全壊、半壊して近隣住民が避難する中、様々な事情で避難せず自宅に残る在宅被災者への支援についても振り返ります。
まず、仮設住宅についてです。ご存知のことと思いますが、仮設住宅にはプレハブ工法で建設する応急仮設住宅と、既存の民間賃貸住宅、公営住宅に入居するみなし仮設の二種類があります。どちらも避難者の負担は光熱費のみで家賃がかからないのは共通です。相違点は多々ありますが、支援の上で考えなくてはならない重要なポイントが一点あります。
応急仮設住宅が十数戸~数十戸で団地化していることに対し、みなし仮設は被災地域や周辺地域に一戸ずつ点在してしまう、という点です。応急仮設団地では被災前の地域住民にまとめて住居を提供するという配慮もなされましたが、みなし仮設は随時、空き物件に入るため、避難者は近隣に顔見知りも、同じ境遇の被災者もいない状態で暮らすことになります。
岩手の場合、みなし仮設は単に点在しているだけでなく、北上山地に隔てられた沿岸と内陸の都市部に分かれて存在しています。その距離は直線距離で90キロほど、自動車で片道約2時間。物理的にも心理的にも隔たりをもたらす遠さです。
盛岡市では、避難者同士の盛岡市内でのコミュニティ形成において拠点となる施設、もりおか復興支援センターを設置、SAVE IWATEがその運営を受託しました。2011年7月、発災から4カ月目のことです。
避難者向けに相談窓口を設け、訪問による見守りを行い、「お茶っ子飲み会」と名付けてサロン、つまり避難者同士で集まれる場所を作りました。
当時、避難者同士が集まりやすい場所の先例として、「番屋」と呼ばれていたSAVE IWATEの物資配布所が存在していました。物資配布は単に物理的な不足を補うだけではありません。共通して出かけたくなる場所を設けることで、避難者同士が出会い、多くの支援ボランティアと関わる場となるのです。後にSAVE IWATEの活動にスタッフとして、あるいはボランティアとして関わることになる避難者も、多くが「番屋」に集った方たちです。
もりおか復興支援センターでも当初、物資配布のスペースも設けました。物資の受け取りをきっかけにセンターの存在と活用方法を周知し、相談やサロンにおいでいただくことに繋げました。
熊本の地震でもすでにみなし仮設への入居募集が始まっています。県境を越え福岡県でも受け入れを行っています。熊本と福岡の間であれば隔てる距離は比較的短いものの、みなし仮設の入居者が、ゆかりの無い地域に飛び込んで生活する事には変わりません。点在するみなし仮設避難者のコミュニティづくりのため、集まるきっかけとしての物資配布やイベントが有効であることは、東日本大震災の事例が参考となるでしょう。
東日本大震災の際は、仮設入居される方には洗濯機、冷蔵庫、テレビ、炊飯器、電子レンジ、電気ポットのいわゆる6点セットが日本赤十字社から提供されました。自治体からも追加の提供がありましたが、それでも家財道具としては十分ではありません。また、家族構成に関わらず一律の内容でした。そのため、入居時には様々な家具、家電が求められました。自宅再建を目指す被災者にとって、必要な家財道具全てを購入する余裕はありません。タンス・扇風機・追加の冷蔵庫・布団・さまざまな物資の支援が必要でした。避難所でも必要とされた衣装ケースは、仮設住宅でも重宝されたようです。これらは新品が望ましいことは言うまでもないのですが、需要に応えるには中古品も必要でした。
次に在宅の被災者支援についてお話しします。
SAVE IWATEでは、東日本大震災時、一部損壊状態、あるいは津波の浸水を受けた状態の自宅で生活を続ける方を在宅被災者と呼んでいました。在宅被災者は避難所に入らなかったために行政の把握が遅れ、結果として支援の始まりと物資の質、量において取り残されることとなりました。
こうした方々へ不足する物資を提供するのも民間支援団体の役割でした。これは前回の拙稿の繰り返しとなりますが、こうした「支援格差」を解消するために有効な手段もまた、物資配布会や炊き出しなどの「人の集まる場」づくりです。対象を避難所や仮設団地に限定するのではなく、地域に広く触れ回り人を集めることで、これまで公的な支援から漏れていた方々の声を聞くことができるのです。
被災地のただ中にいて、自宅は被災していないという方々も忘れてはなりません。
津波の到達が自宅の目前で止まった高台の住民も、所属する集落が壊滅状態で取り残され、孤立状態となりました。海や町場に仕事を持っていた人々は職を失い、日々の買い物ができる商店もありません。ライフラインも月単位で止まっていました。震災被害がほとんどなかった内陸の盛岡に比べたら塗炭の苦しみと言えます。職場やライフラインの被害に応じて自治体からの被災証明書を受けることはできます。しかし、自宅や家族を失った他の被災者からも、被災地の実情を知らない外の人間からも、なかなか同じ被災者と認識されないのです。
自宅が全壊した被災者、一部損壊の自宅に住み続ける被災者、家は失わなかったものの苦しい生活を送った被災者。こうした被災状況の違いが起こす支援格差は、地域のコミュニティに深い溝を残します。この溝を埋めていくためにも、地域全体を支援し、盛り上げ、一体感を再生させる取り組みが必要です。
初期には物資配布や炊き出しも有効ですが、地域のアイデンティティを取り戻すためには、伝統芸能や祭り、文化財を復活させることも重要です。長期的にはこうした文化面での支援もNPOの大きな役割となります。三陸沿岸がそうであったように、熊本や大分も伝統芸能の宝庫と聞いています。熊本各地に虎舞が伝わっていることは三陸沿岸との不思議な因縁も感じます。魅力ある伝統芸能は旅人を呼び込み、地域を盛り上げ、人のつながりを広げていきます。人のつながりは、次なる災害において助け合う絆となるでしょう。
それもまた、災害への備えなのです。
寄稿:一般社団法人SAVE IWATE 会員 前田達明 氏
※下記のデータは、東日本大震災復興支援活動において、
SAVE IWATEさんが使用された各種書類フォーマットや活動フローです。
有事の際に、情報の整理や管理体制等において、ご参考にしていただければと思います。